自信を持ってお届けする、
国産の山地グラスフェッドバター。
100パーセント純粋な山地グラスフェッドバターは、
不飽和脂肪酸を多く含む、体にも嬉しいバターです。
季節ごとに自生する野草の種類が異なるので、
微妙に異なる四季の味わいのバターをお楽しみ頂けます。
賞味期限:製造日より120日間(冷凍保存)
自信を持ってお届けする、
国産の山地グラスフェッドバター。
100パーセント純粋な山地グラスフェッドバターは、
不飽和脂肪酸を多く含む、体にも嬉しいバターです。
季節ごとに自生する野草の種類が異なるので、
微妙に異なる四季の味わいのバターをお楽しみ頂けます。
賞味期限:製造日より120日間(冷凍保存)
アスリート級の赤身を持つ田野畑山地のグラスフェッドビーフと、
岩泉町で丹精込めて育てられたジューシーな黒豚を1:1の割合で配合。
ソーセージの本場、ドイツで職人として活躍された菊池牧場様へ加工を委託し、
田野畑山地らしい美味しい無添加ソーセージ達をぜひご堪能下さい。
賞味期限:発送日より30日間(冷凍保存)
※冷蔵便での発送のお客様につきましては
賞味期限に関わらずお早めにお召し上がりください。
私たちの命の営みは、太陽と地球の微妙な関係に支えられており、
また良きも悪しきも全てを同等に深くその懐に受け止められております。
宇宙の現象を日々意識して過ごしてはいませんが、
愚か者が核実験をしてもサリンをまいても、
民族を飢餓に追い込んでも
善良な民と全く同じに太陽は微笑み、
大地は受け止めています。
これは生きとし生けるものにとって究極の愛(アガペ)だと思います。
私たちは自分達の牛乳だけが売れればよいとは毛頭考えてはおりません。
農業の基本である創造生産から遠ざかるのみの現実をただただ悲しく思っております。
そして、20年来力を合わせ、笑顔で汗し、
助け合ってきた仲間達も水より安い牛乳を搾りながら、
次第に自信も誇りも失いつつあるのも現実なのです。
牛乳に限らず、百姓が世の中に食糧を供給する事は人間愛、人類愛の行為であり、
地球上に飢えている人がいる限り、続けなければならないし、続ける使命があると思います。
実はそんな農民を支えているのは皆さん一人一人です。
山地酪農牛乳を通じて、物の流れだけでなく、心の流れも作って行きたいと願っています。
放牧すれば“山地酪農”的な表現を推進した。
規定があるわけではないので、農家も放牧すれば山地酪農と云えるように思っている。
山地酪農は本来その名称の生みの親、猶原博士の理念。
(現在その理念を継いでいるのは、
田野畑山地酪農牛乳(株)と高知県の先輩の斎藤陽一農場のみ)
平地の少ない日本で、平地は水田と畑作に譲って、
国土の7割を占める急傾斜地の30haをひとくくりとして、
全国各地に安定酪農家を生み出すのが目的だった。
当時でそういう酪農家が全国に20万戸あれば牧山の力で、
自給することが出来ると計算。
しかも今までは薪炭林などの林業的生産しか可能性が無かった急傾斜地で、
高級食料を自給するなど、考えも及ばないことであった。
日本は四季の植物に大変恵まれ、多くの種類が自生する。
それを食う能力を育てれば、有効活用ができる。
食料生産が絶望的だった山地を対象に、安定農家創設計画を打ち立てた。
ところが規模が過小でも、外に出せば山地酪農と云ったり、
日光浴でも山地酪農と云う農家が出てきた。
規定がないのである。
そこで分かっていたので、
独断と偏見で敢えて田野畑山地酪農牛乳の生産者規定を作った。
大切なことは、5haや3haで安定経営を目指すことはできないこと。
中途半端は苦しむ農家を作ることに他ならないのだ。
また大きく違うのは傾斜山地を守るには、
二ホンシバが中心にならなくては無理だということ。
先日の台風被害が大きかった時も、心配をよそに牧山は全く何ともなかった。
これは一重に二ホンシバの力である。
大地を守り、肥し、可能性を最大に引出すのは二ホンシバ以外にない。
これも猶原理論だ。
他の人はシバの価値を知らない。
また、活躍する乳牛の行動を自由にする(牧区を区切らない)ことも、
できないのが普通だ。
乳牛の能力を知らないからだ。
四季折々の草を旨そうに食べる乳牛を実に頼もしく思う。
本当のモデル農家がない今、早くモデル農家にならなくてはいけない。
吉塚公雄
酪農を求めて東京農大畜産学科に行き(18才)、直ぐに挫折。
希望を無くしている時に猶原恭爾(なおはらきょうじ)博士との出会いから
山地酪農の素晴らしさを知りました(20才)。
今から日本酪農を救うのはこれだ!と直感し、
直ぐに徹底的に学び、人生を捧げる決意をしました。
1974年卒業と同時に4期先輩の熊谷隆幸さんを頼りに田野畑村に移住。
(私が実習する一年前に山地酪農に切り替えて、ご自分の山林25haで山地酪農を開始)
熊谷さんで一年間実習の後、先生の指導を得ながら、
77年に四苦八苦の開拓山地酪農を開始。
79年(28才妻22才)栄養失調で救い主と結婚。
ランプ生活10年ののち電気導入(87年:35才)。
開牧15年目頃に幼馴染が遊びに立ち寄り、
「吉塚、この牧場いくらで買った?」と聞かれ、
以前からの農場に見えていることに感動。
開拓にほぼ成功している実感を得た。
しかし経営は絶望的。
継続が危ぶまれたころテレビ岩手の遠藤隆ディレクターとのご縁で、
今ならプライベートブランドの応援ができると。
隆幸さんを中心に研究会の会合を開き、
取り敢えず熊谷と吉塚で山地酪農牛乳をやってみろ、と言うことになった。
パックのデザインを遠藤さんの紹介で
山崎文子氏にボランテイアでやっていただけることになった。
最高のデザインに感謝。
1996年4月1日から田野畑山地酪農牛乳がみなし法人ではありましたが
正式に発足となったのでした。
テレビ岩手遠藤様の応援と、
テレビのお陰でスムーズに販売を展開でき、
考えられない発展を遂げる。
お陰様で一家離散せずに済みました。
牛乳が持っている説得力のお陰で、お客様がお客様を生んで下さる。
いわゆる口コミで販路拡大していったのも大きい。
そして現在、牛乳をはじめ、
多くの商品をお客様に提供できるまでになりました。
感謝です。
吉塚 公雄
【日本の山地酪農・創始者】
・1965年(昭和40年)日本の草地社会(養賢堂より、当時出版)
・1966年(昭和41年)日本の山地酪農(養賢堂より、当時出版) 岡山県高梁市出身
・東北大学理学部卒(植物社会生態学者)
・財団法人資源科学研究所研究員
・国立科学博物館植物研究部研究官
・1971年以降 山地酪農指導に専念
当初は草地の生態学的研究を土壌安定に応用。
それを踏まえ1941年からは酪農への応用研究を開始し、
荒川河川敷・堤防の野草地にて治水を兼ねての放牧実践研究。
それまで牧野の荒廃の指標とされ排除された我が国在来の、
「シバ」に真の積極的意義を見出し、
本命の日本の山地に着眼。
その豊かな潜在エネルギーの開放を志し、
新たな価値観による「山地(やまち)酪農(らくのう)」を創始。
(急傾斜地を含む日本の山地でのシバ主体の混生野草地での完全無農薬、
昼夜放牧を中核に据え、乳牛の本性を最大限に生かす酪農)
{大宇宙、大自然の力を生かし切る風土に根ざす酪農の体系}
自らの10年間に及ぶ放牧実践研究を踏まえ、
各地の酪農家に理論・実践指導に当たる。
実生活では1955年頃より食養の考えも取り入れ、
日本人の食文化として無農薬の
玄米、麦、粟、稗、豆等雑穀類、根菜類、海藻類等海産物の
重要性についても再認識し、
良質牛乳の適量摂取の大切さと合わせて、
酪農指導の中においても言及した。