【山地酪農の規定は存在しない】
放牧すれば“山地酪農”的な表現を推進した。
規定があるわけではないので、農家も放牧すれば山地酪農と云えるように思っている。
山地酪農は本来その名称の生みの親、猶原博士の理念。
(現在その理念を継いでいるのは、
田野畑山地酪農牛乳(株)と高知県の先輩の斎藤陽一農場のみ)
平地の少ない日本で、平地は水田と畑作に譲って、
国土の7割を占める急傾斜地の30haをひとくくりとして、
全国各地に安定酪農家を生み出すのが目的だった。
当時でそういう酪農家が全国に20万戸あれば牧山の力で、
自給することが出来ると計算。
しかも今までは薪炭林などの林業的生産しか可能性が無かった急傾斜地で、
高級食料を自給するなど、考えも及ばないことであった。
日本は四季の植物に大変恵まれ、多くの種類が自生する。
それを食う能力を育てれば、有効活用ができる。
食料生産が絶望的だった山地を対象に、安定農家創設計画を打ち立てた。
ところが規模が過小でも、外に出せば山地酪農と云ったり、
日光浴でも山地酪農と云う農家が出てきた。
規定がないのである。
そこで分かっていたので、
独断と偏見で敢えて田野畑山地酪農牛乳の生産者規定を作った。
大切なことは、5haや3haで安定経営を目指すことはできないこと。
中途半端は苦しむ農家を作ることに他ならないのだ。
また大きく違うのは傾斜山地を守るには、
二ホンシバが中心にならなくては無理だということ。
先日の台風被害が大きかった時も、心配をよそに牧山は全く何ともなかった。
これは一重に二ホンシバの力である。
大地を守り、肥し、可能性を最大に引出すのは二ホンシバ以外にない。
これも猶原理論だ。
他の人はシバの価値を知らない。
また、活躍する乳牛の行動を自由にする(牧区を区切らない)ことも、
できないのが普通だ。
乳牛の能力を知らないからだ。
四季折々の草を旨そうに食べる乳牛を実に頼もしく思う。
本当のモデル農家がない今、早くモデル農家にならなくてはいけない。
吉塚公雄