志ろがねより愛をこめて 2007年6月 

公太郎通信1
  「目差すもの?」       平成19年 6月3日(日)

 僕は、小さい時から牛を見ていましたし、元々動物がすごく好きでした。平成8年に、親父が夢に見たプライベートブランドの牛乳(田野畑山地酪農牛乳)が出来ました。
ブランドの牛乳が出来たきっかけは、親父は都会で育った人ですが、山地酪農をやりたいと言う事で岩手県の田野畑村と出会いました。親父は、牧場の開拓中、地元の人達の助けを頂いた時もありました。刈りはらい機やチェンソーの刃のとぎかたや木の伐採の仕方、地元の酪農家が上がって来て、半年もかかってまだ半分もバラセン張りが終わっていないのかと言って皆が手伝ってくれて残りを1日で全部終らせてくれた事もあり、農業の分かった人が何人かそろっただけで、こんなにも、はかどり方が違うんだなあと親父は、ビックリしたそうです。そして、山地酪農の素晴らしさを教えて下さった先生の意思を継ぐために、信念を持ってやっている親父の姿を見て私は、すごく尊敬しています。
  親父が、人間関係を大切にして来た事と、信念を持ってやっている事、そして地元の方達の助けやマスコミ、そして、山地酪農に振り向いて応援して下さる方達の力があってブランドの牛乳が出来たのだと思います。
  そして、盛岡市の店に牛乳を置かせて頂ける事になり最初は、試飲をしながら売りました。その牛乳を飲んで下さった沢山のお客さんが、この牛乳すごく美味しいねと言って下さいました。そして、持って行った牛乳を全部売る事が出来ました。親父はすごいと思いました。その頃、私は中学1年生でしたが、俺も将来の夢は親父の後を継がせて貰おうと思いました。
わたしは、田野畑高校を卒業後北海道旭川市の牧場と長野県南佐久郡南牧村の牧場で1年づつ山地酪農実習をしました。平らな山ではなく、山の形をそのまま活かした山に牛を放す素晴らしさや、牛の健康、季節ごとの山の変化について学びました。
  実習中に感じたことは、牧場の規模が人をやとわないと1日の仕事が間に合わせないような牧場が沢山ありました。私は、将来自分の家族でやれる範囲の牧場をやりたいと思いました。    つづく




牛舎への道路が変わった。     平成19年 6月12日(火) 

 前略、やっと天候に落ち着きが出て来たのでしょうか。晴れれば暑くて曇れば寒いのが、ここ何日かはストーブ抜きで夜も過しております。天候に左右されないでお元気ですか?
  この春から、農場の放牧地と搾乳牛舎との通路を変更しました。ずーと前から、家の前を牛が通るのは、家の前が糞だらけになるのでダメだと思っていましたが、大きな変化に牛は弱く、慣れるまでは結構な労力を要することが分かっていましたので、なかなか出来ませんでした。
最近になって、お客様からご指摘を受けて決心しました。電気牧柵を取り入れたことで誘導路を作りやすい事と、息子たちの労力が使えることもあって、思い切って牧道の変更を決行致しました。牛たちはいつもと違う出口へ追われるので、パニクッテいましたが、数日の事で何とか慣れてくれました。まだ一人で出来るほどではありませんが、段々に出来る様になるでしょう。
  天候が安定して、草が成長を見せ始めたら、暑さの為に腹が減っていても木陰に入ってしまい、逆に日中は余り歩かなくなりました。草があるのに仕方がなく補食して、乳量が多い牛を中心に食べさせています。一食抜きは牛には拷問です。でも夜になると涼しいので歩き廻ります。ですから、朝は牧山で一番奥の高い場所まで迎えに行かなければなりません。適度の運動と思い、また牧山の状態を確認する意味でも、自分の足で歩く事に、意味を感じています。それにしても後ろに行って声を荒げないとビクともしません。遠くから呼びながら行くのに、そして判っているのに・・・? 草々。




ビーフジャーキーが出来ました。     平成19年 6月26日(火)

 前略、先日13才のミンミンを紫波町の岩畜工場に送りました。従ってビーフジャーキーが出来ました。最後まで人に尽くす家畜道です。
  でもこうしてビーフジャーキーにするからこそ人様の口に入りますが、そうでなければ、動物園かペットフードです。それでも構いませんが、家畜代がただ同様にたたかれて、情けない思いをしながら売るようになるのです。
  自分で売る為に、ビーフジャーキーに加工してもらい、それなりに道を付ければ、安全に関してはこの上ない肉ですから、自信を持ってお届けできるのです。そして安い様でも、たたかれて売るよりはどんなに良いか。
  まして少し硬くても、美味しいと言われているのですから嬉しい限りです。
自分で食べてもクセになりますが、そういう物を売らなければウソだと思います。
  実はペットフードショップからも、安全な薬を使っていない肉や骨の問い合わせがありました。値段的にはまあ合うようですが、心境として穏やかではありません。だって人の役に立てるのに、何でペット?とどうしても思ってしまいます。でも今やペットは人間と同格なのだそうです。飼い主は自然で安全な食べ物なら、少々高価でも買うのだそうです。
  オラホのガキはペット以下だな?と思いながら・・・?でもペットが相手なら、保健所の許可は要らないし、やりやすいのは確かです。ペット用安全食品として、骨まで売るようにしようかとも思います。     草々。



 恭次通信 NO1         
北海道で学ぶ〜これが肉体労働〜   平成19年 6月30日(土)
 昔、これは私がまだ小学校3.4年の頃でした。幼い頃から踊りや歌が大好きでした。この頃ロックも大好きでした。5年生の時、お年玉を使わずに貯めたお金で8千円ちょっとのCDラジカセを買い、夕方の乳搾りが終わると、部屋へ行きロックを聞き、自分の世界を楽しむのでした。こんな私の口から、今の私にはとても考えられない、親父を裏切るような告白に挑んだのでした。「僕は、将来ロック歌手になるぞ!」これだけでは終わらない。「髪の毛を青に染めて、ギンギラギンの服を着て紅白歌合戦に出場するから楽しみにしてね」。この後お袋の口から飛び出した言葉とは、「そんなかっこうをしたら二度と家に入れない!」なんて言われた事を覚えています。それにしても、あの私がなぜ山地酪農をやっているの?ここを私に突っ込まれても、皆さんは困りますよね。酪農の実習先で親方によく、「とても酪農家の息子とは思えない位、仕事がへたくそだな・・・、親父はいったい何を教えたんだ。」なんて言われた事がありました。言われた直後はかなり辛かったけど、後々考えたら、確かに技術は大して教えてくれなかったのかもしれないけど、親父の「男はみんな山地酪農家にする」という、強い思いが十何年掛かって自ら山地酪農をやりたいと思う気持ちを、持たせてくれたのかなと思いました。「ロック歌手になれなくてよかった。」両親には本当に感謝しています。
(今年、公太郎は25才・恭次は22才です。)