志ろがねより愛をこめて 2006年3月 

アッやっちゃった 平成18年3月14日(火)

 前略、皆さんお元気ですか。
 日々の温度差が激しくて、 風など召しませんように。

  さて、パソコンの時代ですが、先日大失敗をしてしまいました。
ウィルスバスターソフトが容量が大きくて重くなる原因のようですが、これは避けられないので、 比較的重いと言われる、ビデオの映像やカラー写真など、探しては次々とゴミ箱にポイ捨てを始めました。

 がしかし、既に大失敗のその時を迎えてしまいました。
 それは娘の都が旦那や子どもの仁美をデジカメで撮ってパソコンの専用フォルダに整理してしまっておいたのだそうでしたが、私は空き容量が5〜6%しかない状態ではパソコンの反応が遅いのもうなずけて、変に納得していました。

 何とか反応を取り戻したいと思い、思いビデオ映像などをどんどん捨て始めました。捨てる度に、何か軽くなったような気がして、この際、思い切って皆捨ててしまおうと、どんどん捨てました。
 そしてそんな中、都が仕事から帰ってきました。
 いつものようにパソコンに向かい、何分もしないうちに悲鳴に近い声がしました。
 「どうしたんだ!」
 「や〜だもう、パソコンの整理した写真が全部ないよう。」
だって。半ベソ状態です。

 そんな事を言われても「アリャ捨てちゃったよ。ゴメンゴメン。」しかありませんでした。
 「何だ!捨てる前に一言聞いてくれればよかったのに!」と泣かれてしまいました。
 アンマリ怒るから「そんなに怒るなら何で早くディスクに入れておかなかった?ただ軽くしたかっただけだ!」と言ってしまいました。
 でも捨ててしまったことは、本当に悪かったと思っています。

 ゴミ箱を空にしなければ、まだ戻しが利いたのに…!何とも取り返しがつきません。
 小生とした事が。余りセッカチな性格のために起きた事件でした。
 週に一度はお便りに使い、月に一度は「まき」に使い、毎日メールを対処して、ブログもやって・・・。結構パソコンを使っていますね。
 だから反応が遅くなってイライラしていたのでした。
 穏やかに和やかに、怒らず許して和みましょう。
 そしてまだ遠い春を気長に待ちましょう。
 間違った時はシッカリ謝りましょう。ごめんなさいと。草々。




あ〜、ありがたや! 平成18年3月21日(火)
 前略、すごい強風でしたが皆様ご無事ですか?
 農場ではサイロの戸が吹き飛ばされましたが、たまたまサイロの中に落ちてくれたのでラッキーでしたが。。。薪ストーブの煙突がやられてしまい、一日中煙いのなんのってひどいものでした。
 かつても風が吹くたび、雨が降るたび、雪が降るたび、山奥で四苦八苦したものでした。
 背負った山々からの吹き降しが非常に強く、プレハブ住居でしたので、生きた心地がしませんでした。

 その時の心境は、「今更出て行って何が出来るわけでもなし、運を天に任せて全てを預ける!」まな板の上の状態でした。いつもこれで死ぬならそれまでの命と覚悟したものでした。
 したがって、ベストを尽くせば後は天の采配だとつくづく思います。
 何度も何度も覚悟する場面はありましたがこうやって命があり、家族があり、運にも恵まれて夢が語れるなんて、幸せの骨頂ですネ。
 ありがたや、ありがたや!です。

 終わることなく夢が語れると言う事は、逆に小生は夢の山地酪農が実現できるって言うことなんだと、不思議な希望を感じたものでした。
 目の前が急に広がったような気がしたものです。
 経済的と労力的に非常に苦しかったのですが、いつも山地酪農という夢に向っている実感があり、現実の辛苦は何とか我慢が出来ました。
 とは言っても、牛が死に、次には死なせないぞと思っているのに、また死ぬ。
 情けなさと不甲斐なさに、自分がホトホト嫌になったこともありましたが、 そんな時はいつも決まって 先生の顔が出てくるのでした。

 これを研究された先生の苦労は並大抵なものじゃなかったはずだ。
 自分が諦めたら全て終わりだ。
 それでは申し訳ない。
 何とか頑張らなければ…!と思ったものでした。

 15年後に、牧山がキレイな緑に覆われて、牛たちがカウベルを鳴らして食いまくっているのを突然実感した時の喜びは何と表現したらよいのでしょう。
 それでも時々牛は死にますが、創造生産する牧山を、面積は少ないけれど俺は作れたんだと思いました。
 完成はまだ20〜30年も先の話ですが、このまま続ければよいという自身が始めて生まれたときでもありました。


山地酪農の故 猶原恭爾先生
(先生について詳しくはこちら)

 先生のご指導と信念が、この牧山を作らせた事に、限りない感謝の念が湧き起こり、 次は何とか食える規模にまではどうしてもしなければ、と思ったものでした。

それは子ども達と力を合わせて・・・。ありがたい。草々。




農魚村の持てる価値? 平成18年3月28日(火)

 前略、春近し、のこの頃ですが、牧山(放牧地)に福寿草やフキノトウを見つけたと、雪で痛んだ牧柵を修理していた公太郎が、昼休みに笑顔でビデオカメラを持って撮りに行きました。
 冬が長いだけ春の喜びが増大するのがよく分かります。
 でもフランスやイラクなど、内乱や暴動で死者が出ており、とても季節をめでるような心境ではないと思います。
 アメリカのお陰か自国のお陰か、今の所、平和な日本で、平和ボケしていられるのですから、ありがたいものです。
 しかし日々見ている筈の、裏山や牧山の四季の移ろいが本当に素晴らしいと思えるのは、年を取ったからでしょうか。
 生きている自然、そして何年経っても同じ様に美しく微笑み続けてくれる近辺の自然。

 我家の子ども達は、幼い時代の思い出を、そしてふるさと意識を兄弟で共有でき、またいつでも見ることが出来るのですから、これを幸せと言わずして何が幸せでしょう。
 盆や正月に実家に帰省して来る、村の出身者が夢中で小川に糸をたれているのは、昔のままにザッコを釣って、昔のままの感触を懐かしく味わっているのだと思います。
  帰る家にいる親は老い、両親が一人になっていたり、後継者がいなかったりと、田舎は再起不能に陥りそうな状態ですが、毎日を村に過ごす我々は、皆日々評論ばかりしています。

 何で過疎になったか。
 どうして若者がいつかないのか。
 何で経済効果が上がらないのか。
 不便をどうやって克服したら良いのか。など等。
 浜には漁師、丘には農家・林家があり、どんなに偉い知識を振りまいても、生活方法や環境が変わるわけではありません。
 でも現実を見れば、そんな生活をしながらどうしたら魅力のある農魚村になれるのか。
 私達はそれぞれの職業を通して、どうやったら豊かになれるのか、それぞれの立場スタンスを忘れないで考えなければいけないのだと思います。

 日本人は一億総評論家の国になったのか。それで豊かになれるのか?
 農魚家が相手にしているのは、目の前の美しい自然であり、先祖代々ここにこうして生きて来たのです。
 テレビや新聞が普及して情報が氾濫しても、ここの自然は美しいのです。
 評論するより、先祖代々に感謝してしっかり目を向け、できることから改善を始めたいものです。
 こうした生活が本当は立派に後世に誇れるものだと思ったりしています。・・・?   草々。