志ろがねより愛をこめて 2005年11月 

家畜道って何? 平成17年11月1日(火)

 前略、11月になってしまいました。皆様お元気ですか?
 お陰様で私たちは皆元気です。
 ちょっと、4才の壮太がふざけて階段に座っていて、はずみで2階から下まで落ち、顔をぶつけて青アザを作って、腫れた顔になりました。
 「知らない人が見れば幼児虐待にも見えるよな」等と話していました。
 ガキと言うものは本当に次の瞬間何が起きるか分かりません。まったくの話が・・。

 さて、先日種牛のサブロウを近親交配を避ける意味で、屠畜場に出しました。屠畜場に出すと言うことは、4才半で命が終わることです。


三代目の種牛・サブロー、本当に皆になついていました。
 3男・純平が首の所をさすっており、気持ちよさそうにしています。

屠畜場へ行く前夜の写真。この日の夕飯にはサブローの事が話題となったのでした。

 メス牛は事故がなければ15~16才ぐらいまで飼養しますが、やはり最後は屠畜場へ送られます。
 事故や病気で終わった場合は、犬や猫の缶詰めやペレット食になります。
 結局家畜に生まれ、どうなることが一番幸せなことかを考えてみれば、種牛以外は生まれた母から許される期間は直接授乳され、すっかり離乳すれば母たちの群れと365日一緒に生活できるのです。
  これは山地酪農だから出来る、独特の飼い方です。
 それが自然分娩・自然哺乳ですが、繁殖も種牛が一緒にいて発情があれば、自然交配です。

 日々牧山に生活を営み、歩き回る事で足も胃腸も丈夫になります。
 そして確実に繁殖することは牛乳生産が保障されることでもあり、大変重要なことです。

 こうして牛の本能を取り戻し、自由に任せて一山を牛に与え、搾乳以外はなるべく自然に任せる生き方が保障されるのも山地酪農だからです。
 日本の乳牛の平均寿命が5〜6才なのを考えれば、少なくても15~16才まで自由な生活ができるのだから幸せだよな?と思います。
 オスもハーレム状態を保障し普通なら約1年の命が4~5才まで自由なだけ幸せだと思います。

平成17年10月19日
   早朝4:00

吉塚家家族の見送りの中、屠畜場への車へ乗り込んだサブロー。
 普通なら、なれない車に乗り込むのを嫌がるのですがなぜかおとなしく車へ乗り込み、屠畜場でも父・公雄に見守られながら静かに中へ入っていったサブローでした。
 父は、そのサブローの姿を涙をこらえながら見送ったのでした。
 サブロー、本当に今までご苦労様。
 そしてありがとう☆☆

 そしていずれ肉になるのに、最後の一切れまで「アーおいしかった!」と言われるなら、家畜冥利に尽きるでしょう 。
 家畜に生まれ、牛乳でも肉でも「うまくねー!」と言われ、捨てられる事を考えると、喜ばれ感謝されて人の役に立つ生き方が、家畜として最高の道だと確信しています。
 これを小生は「家畜道」と言いたいのです。
 飼い主としては折角の命、最後の一杯・一切れまで、喜んで食して頂きたいのです。

 サブロウもしっかり役目を果たしてくれました。
 飼料用穀物は一生の間、ただの1sも食べていません。
 野草・牧草とふすま(小麦の皮)だけです。
 自然な肉味で喜ばれることを祈るばかりです。感謝。草々。




政夫の決断・考 平成17年11月15日(火)

 前略、だいぶ寒い日が続くようになって来ましたが、皆様お元気ですか?
 石油が高騰し灯油価格も今までにない値段になってしまい、冬に向って心細くなりますね。
 事情が産油国にあり、この傾向が長期化しそうな気配ですね。
 少々備蓄しても何にもなっていないことが実感されましたが、こう言う事にこそ貴重な税金を使って、生活がおびやかされないようにして欲しいと思います。

 一昨日の13日(日)、今まで一度も行ったことがない田野畑中学校の参観日でした。
 2年に純平がお世話になっています。
 来ると思わない親が来たためか、少しヒメー的な声で「エー!ウッソー!」だって。
 顔が嬉しそうに笑っていたのでよかったなーと思いました。

 授業は道徳で、「政夫の決断」と言うタイトルでした。
 農家の一人息子の政夫は中三でいよいよ進路を決定しなければなりませんが、農業の素晴らしさや、植物の感動的な変化を美しいと思える感性も、収穫の喜びも知っているのだが、小さい時からの夢、宮大工になりたい思いは関西への修学旅行をきっかけに段々にふくらむのであった。
 前後に両親とのやり取りや、宮大工になるのならどう進んだらよいかを、先生も調べてくれた。

 はてさて政夫がもし皆さんだったらどうしますか?と言う授業でした。
 要するに自分の進路を意識させるものでしょうが、内容が内容なだけにこっちも真剣に拝見しました。
 23人の生徒の中で2人だけ(一人は純平)がハッキリと「農業をやる」意見でしたが、後は皆迷いなく「自分の人生、自分で決める」や、「親と自分は違うのだから自分の夢を大切に」と言うことでした。

 先生は、
 「政夫は宮大工への道の本当の困難さを知っているのか」、
 「もし君が政夫の親だったらどう言うか」、
 「どちらを選択しても壁にぶつかるが、その時自分を支えるものは?」
 など、心を刺激して下さった。

 終りのチャイムが鳴ったが、その時先生は、
 「実は名前も形も変えてありますが、政夫は自分です。」
 と言いました。継いで貰いたい親、夢に向いたい自分、葛藤があって挫折した時、父親は自分の納得できる生き方をしなさいと言ってくれた。この時始めて泣いた。」
 そうです。

 小生は人間いずれ、夢に向おうと諦めようと、それなりに壁もあれば、波もある。
 喜びも苦しみもあるのが当たり前、そこに生き甲斐を見出して、心をゆさぶり、迷いを払って最高の人生にしなければならないと思います。
 熱く生きたいものです。草々。




文明の利器・考 平成17年11月22日(火)

 前略、皆様お元気ですか?
 早坂峠は早くもアイスバン。
 いよいよ冬ですネ。
 取り急ぎタイヤの交換とついでにオイルの交換です。

 生活の方は薪の準備ですが、前みたいに家に全く無い状態は無くなり、取り敢えず燃す分ぐらいはいつでもある状態で、それも夢のようです。
 以前は、雪が降っても薪の準備が出来ないで、雪の上から木を切って燃えにくいナマ木を燃したりもしました。

 牛の管理も今は4WDのトラックやトラクターがありますが、補食に牧山(放牧地)に入って行くと、上がれない、出られない状態で、ジャッキで車体を上げてタイヤの穴に石や木っ端を入れて車体を浮かせて何時間も掛けて、やっとの思いで4本のタイヤを浮かせて牧山脱出をしたものです。
 今は4WDに切り替えて(フルタイムもある)、牧山に入って行き、楽々と餌をやり、何も無く無事に出てくるのであります。

 文明の利器の何とありがたき哉(かな)。
 餌をやるだけではありません。
 帰りには薪を積みやすい所まで行って積んで来るとか、兎に角今はまず車が出られないと言う事がなくなりました。
 これだけでも本当に助かるのでした。
 いつも出られなかった所に来ると、つい口に出ます。
 「ここで出られずに本当に苦しんだんだ!」と。
 若い者たちは免許を取ると同時に4WD に乗っているので、そんな経験は無いでしょうが、どういうことで苦しみ、はかどらないでイライラし、何を喜び、どう感謝して来たか、受け止めて欲しいものです。(受け止めているな)。
 増してやトラクターは危険を伴いますが、人力では考えられない仕事を簡単にやってのけます。

 今は電気(昭62年まで10年間電気なしだった。)もあるし、道路は舗装になったし、機械器具もだいぶ揃ったし、人力だけから始まった者としましては、一歩一歩の前進を実感しながら進める事の幸せを感じます。
 我が子たちもそうであって欲しいと思います。

 田野畑弁では【骨で稼ぐ】と言いますが、人力の労働(原点)の大変さを知るからこそ、本当に文明の利器に感謝が出来るのでしょう。
 今の時代に今の立場に生まれたからこそ、こう云う利器が使えるので、その事が本当にありがたく感じられます。
 本当に感謝です。草々。




昔話を語ること 平成17年11月29日(火)

 前略、皆様お元気ですか。
 私たちはお陰様で元気ですが、カゼ引き組みも出始めました。
 今年は特に、鶏インフルエンザが不気味に聞えつつ、地球規模で大変なことにならないように祈るばかりです。

 さて、先日高 2 の令子を学校に送りながら、ラジオに合わせて
 「裏の畑でポチが鳴く、ここ掘れワンワン掘ったれば・・・・」
 と懐かしくて、つい歌いましたが、聞いていた令子が、
  「その歌なに?」と聞いて来ました。
 ビックリして「この歌知らないの?」と聞くと「知らない」と言うのです。
 そこで桃太郎や花さか爺さん・一寸法師など、聞いたらあまり知らないのです。
 知らないのは教えないからだと思いました。
 核家族のなせる業か、情ケナヤです。

 私たちが子ども時代には、ほとんど絶対的に絵本や祖父母などから、よい人間になりなさいと言う、意味合いを込めて読んでもらったり、話してもらったものでした。
 語って聞かせるから物語で、語り手の思いが通じるもので、それが独特の味を出すのです。
 祖父母や両親とのコミュニケーションが物語を通して、幼児の時から思いを含んで伝わって行くことが、今更ながら本当に大切なことだと懐かしく思いました。
 幼児は幼児なりに、時代を越えた人間との共通会話ができ、児童生徒はそれなりに共通会話ができるのは、普段からそうしたコミュニケーションが取れているからで、急に出来るのではないでしょう。
  祖父母や両親の希望や願いをお話に込めて語れる機会が、実に自然に教育的な関係を生んでくれたのだろうと思います。

 皆さんのお宅でも、我家のような核家族一家は、お子さんたちが昔話を知っているかどうかな?と思いました。
 グリムやアンデルセン童話も非常にいいですよね。
 5 才になった壮太が
 「魔女の宅急便」「もののけ姫」「アラジン」
 と繰り返し何度でも見ていますが、
 そこには両親や祖父母の思いが入っていませんが・・・・?
 アニメでも親や祖父母と一緒に見て、お話しできればいいのかな?と思います。
 小生、七人目でこれだもの、子どもが無教養なのもうなずけます。
 皆さん、小さい子に昔話を読んだり、語って聞かせましょう。
 これは今更ながら、案外大切な事のような気がして来ました。

 仕方がないので、今からは孫にお話でも致しましょう。
 子や孫の心をゆすぶって、人に育って欲しいと思います。
 まずお前が育てってか?どーんとはれ。