志ろがねより愛をこめて 2005年10月 

赤ちゃんのいる家 平成17年10月11日(火)

 前略、皆様お元気ですか?
 季節の変り目がすぐに来るので驚くばかりです。
 容赦なく移り行く季節や時間を、地域や家族で共に過ごす実感を、何とか味わいながら歩んで行きたいものですネ。

 先日、陸上記録会があり、朝から雄志兄ちゃんはいないので、いつもは一緒に4q先の保育所に行ってくれるのに、今日は壮太が一人で行かなければなりませんでした。

 でも昨晩、雄志兄ちゃんから一人で行くことを言われていたので、覚悟は出来ていたようです。
 毎日叱られながらでも何でも、手を引きひき歩かされたことで、知らない内に自信になっていたようです。
 「明日は一人で行くんだ」と思っているのでした。

 雄志がいない翌朝、事のほか張り切っていました。
 「今日は一人で行くからネ。」
 と確認するように、何度も言っていましたが、
 令子姉ちゃんが作ってくれたお弁当を背負って張り切って
  「行ってきまーす!」
 と出かけて行きました。

 牛乳の出荷の日でしたので、道路が一緒の為に後から様子が見られますが、何でも無さそうに元気にニコニコと歩いていました。
 安心しました。
 その様子から本当に歩けることを感じました。

 日々の積み重ねは、知らずしらずに人を成長させ、全然一人では歩けそうも無かったところを、自信を持って一人で行けるようになるのですから。
 本当にありがたいものです。
 兄や姉が自分の責任のようにちゃんとやってくれるので、今は本当に手が掛かりません。


4歳のおじさん 壮太と姪っ子、仁美

 すっかりお兄ちゃん気分の壮太。
 「仁美が大きくなったら保育所へ連れて行ってあげるよ!!」
 と今から張り切っています。

 この間まで赤ちゃんだった壮太が成長するのを実感した瞬間でした。
 嬉しさと淋しさを感じますが、今度は孫が同じ屋根の下におり、昔からの夢だった〔赤ちゃんがいつもいる家〕になりつつある事も実感しています。
 ただ温かく世話して見守る母がいてくれるのも、ありがたい限りです。
 赤ちゃんのお腹と心を満たし、泣き顔を笑顔に変える能力はすごいものですネ。
 赤ちゃんだけでなく、家族みんなの笑顔を支えているのかもネ。

 元気を無くしている子どもが、カーチャンの笑顔や涙で急に元気を取り戻し、次の瞬間張り切っているのを見ると、カーチャンの威力は魔法的だと思います。

 そんな家のカーチャンはバーチャンになりつつありますが、今度は娘の都が母となって頑張る時が来たと言うことでしょう。
 時間は待った無し、どんどん過ぎて行きます。
 まだ母になった意味を深くは考えない娘に、知らずしらずに力となって行くことでしょう。ドーントハレ!草々。




自然の恵み? 平成17年10月18日(火)

 前略、天候不安定が続きますが皆様お元気ですか?
 厚かったり寒かったりで、体調を崩して居られる方もあると思いますが、くれぐれもご大切に!

 さて、この秋はクリもクルミも大したことが無く終わってしまいましたが、皆さんの地区は如何でしたか?
 山の産物は、大変公平に出来ていると思います。
 と言うのは、ワセの物・晩成の物など、場所や標高によって熟す速度や落ちる時が、微妙に違います。
 そして、絶対に一度に落ち切ることはありません。

 兎に角喜べるためには、毎日まいにち山に通わなければなりません。
 でもそうして通っている内に、木の様子を自然に観察しており、いつが適期か、いつ沢山落ちるかとか、様子がすっかり分かる様になるのです。
 そして毎日行くわけですから、毎日いくらかの報酬にありつける、と言うことになります。
 毎日一歩先に山に行く人が沢山の産物に恵まれることなのです。
 山菜もキノコも木の実も皆そうです。

 そうしてみると、山地酪農牛乳もそうなのかも知れません。
 乳牛が毎日山に行って草をほうばり、野草や牧草の栄養を人が食すことが出来る牛乳にして、恵みとする。
 日々牛たちは人と違ってサボルことなく、懸命に山で食べ歩くのです。
 春は春草・夏は夏草・秋は秋草と、四季の移ろいの中で常に旬の草をほお張っているのです。
 山地酪農牛乳はだから自然の味と言われるのでしょう。
 金力と機械力でひねり出すのではありません。
 ここの山の構成する草の味になるのです。
 どこの山にもそこの土地柄の草がありますが、それがその山の味になるのです。
 除草剤や防虫剤・ホルモン剤など投与しなくても、無理をさせない牛たちは元気一杯です。


 長男・公太郎が巨大シイタケを採ってきました。
 大きすぎて食べられるかしら?と思いましたがこれが意外とおいしかったのでした☆

 

 今年も青草の時期はもうすぐ終りです。
 青草の時期が終わると何か一年が終わったような気がしますが、秋には肥を撒くと言う大仕事が残っています。
 その為にも早く草を片付けなければなりません。
 長い冬の間、牛たちはサイレージや乾草で過ごします。
 牛乳は少量ですが冬は濃厚な味になります。
 草地と牛が栄養失調にならないためにも、肥撒きは重要な仕事です。
 前には全員でトラックや耕運機に積んでいましたが、今はトラクターで撒いてしまいます。
 ヘトヘトになる重労働も、今は随分楽になって来ました。 
 小生は道路や牧山の刈払いでもしましょう。
 牛が山で草を食いやすく、又草に良く日が当たるようにするのです。
 楽しきかな山地酪農です。草々。




文化祭の演劇で 平成17年10月25日(火)

 前略、寒かったり暑かったりと、季節の移ろいに惑わされるような日々の温度差に、体調を狂わしてしまいそうな気がしますが、皆様お元気ですか?

 今、学校では文化祭や学習発表会の時期ですが、田野畑村でもそうでした。
 保育所・小学校・中学校・高校と村にある教育施設は全てお世話様になっておりますが、この22・23の土日に、高校と中学の文化祭がありました。
 高校は全校で三十数人の小さな学校ですが、アットホームな良い雰囲気に満ちていて、学年に関係なく先生方全員が生徒全員の担任的な、学校全体が一体感のある他にはないものにあふれていると言えます。

 放送委員会の存続の危うい田野畑高への思いを込めた発表と、盛岡一高・盛岡市立高の放送委員会のご協力も頂いて、各学校の素晴らしい発表でした。
 菅窪の鹿踊りやサクラシンマチと言う、歌手を招いてのコンサート、生徒会のゲーム。
 そして親子でのバレーボール大会と楽しい一時でした。

 中学では、全校演劇(生徒数が減って来た為もあると思います。)で、一昨年の三閉伊一揆がテーマで、昨年は鹿踊り、今年は陸中海岸の国立公園化に寄与した青木松太郎がテーマでした。
 ここの所、田野畑村の身近な話題がテーマとあって、観客も多くなって来ました。
 しかし知ってるつもりでも知らない物で、徹底取材と徹底調査の脚本には本当に感心させられます。
 どうしてそう言う事が起こって来たか、「ことの前提といつ誰がどこでどうした」と言う流れが良く判るものでした。

 ちょっと暗くて見にくいですが田野畑中学の劇の様子。
 右から2番目は純平です。
 北山崎の価値に注目し国立公園化に奔走する「青木松太郎」を案内して
北山を散策した「上山一久」の役。
 一生懸命演じすぎて、思いっきり『ドテン!!』と転んでしまいました(苦笑)

 東京出身の青木が疎開して来たが、縁あって田野畑村に来て、岩見対山和尚と出会い、海岸美に出会う。
 そして並々ならない海岸美を埋もれさせてはならないと、情熱を燃やす。
 ここが国立公園になれば陸の孤島に道路が出来る。
 そうすれば観光と物の流通がしやすくなる。
 貧しい村を救うことにもなる。
 和尚の同級生で時の農林大臣廣川弘禅に直書をしたため、青木は一人直書と情熱を胸に大臣室に向った。
 始めは気のない大臣であったが、岩見和尚の直書と、青木の百人の敵を一人で相手する意気込みと情熱に心を動かされる。
 遂に昭和30年5月、北山崎を含む海岸線南北約92qが陸中海岸国立公園に指定された。

 その後、昭和53年田野畑村議会で名誉村民条例で、全会一致で初の名誉村民となった。

 青木が時の村長に、
 「田野畑は、日本のあらゆる場所が変わっても、最後の村で・・・唯一の村であって欲しい・・・、そして・・・そして日本一の村であって欲しい・・・」と言う言葉を遺している。
 ついでに、中学校の校歌を作詞したのも青木であった。
 熱演に涙を禁じえなかった。草々。