志ろがねより愛をこめて 2005年6月 

自分の世界に感謝 平成17年6月14日(火)

 前略、6月になっても天候不順は相変わらずですが皆様お元気ですか?
 寒かったり暑かったりと日々忙しい事ですが、時節はちゃんと移ろいでいるようです。
 牧山(放牧地のこと)ではツツジが終り、ミズキが綺麗な白い花を咲かせ、夏草のシバがいよいよ力強くなって来ました。今年も美しい牧山が甦りました。

 牛乳の味も春から夏へと変わって来たことでしょう。
 乳牛たちが毎朝、牧山の奥の方から帰って来るようになりました。
 と言うことは、昼夜通して歩き廻り、野草を食っていると言うことです。
 朝晩牛舎に入った乳牛たちに一応乾草を与えますが、1〜2頭しか食べなくなりました。
 生の青草で満足しているので「乾草などはいらない」と言っているようです。
 いずれ、生きいきと牧山に生活を営む姿は、いつも深い喜びを生んでくれます。
 それを思う度に「日本の山地酪農」にありがたさを感じます。

 12日の日曜日に午後の晴れ間を、道路の刈り払いに当てました。
道路と牧山が平行している所もありますが、刈り払い機を振り回していると、放牧地側で何か騒いでいました。
 エンジンを止めて見ると、4才の壮太が木っ端を沢山かかえて叫んでいるのでした。

 「お父さん!秘密基地を見て!あっちにもあるよ!」
と指を差しています。

 2ヶ所の秘密基地から宝物の剣や鉄砲などをポケットや胸や背中、果ては長靴のすき間にまで詰め込んで両手にもいっぱいで、何とも満足そうな顔です。

 「そんなに沢山持っていたら、敵が来ても戦えないぞ!」と応えてやりました。

 別に一緒に遊んでやる訳ではありませんが、会話を交わしてあげるだけで、壮太は満足して去って行きました。
 きっと今度はお母さんに見せに行ったのでしょう。

 かつての自分にもあの経験があり、木っ端を拾っては剣やピストルや手裏剣など、イメージをふくらませていたのを思い出しました。
 お膳をひっくり返して漂流船に見立て、荒れ狂う波間を落ちないように必死でしがみついていたり、怪人二十面相や小林少年になったりしたものでした。

 そういう環境も昔は当たり前にあったのですが、今はそうでもありませんね。
 そういう意味でも山地酪農は恵まれていると、壮太を見て改めて思いました。
 親馬鹿ついでに言えば、優れたアニメが一杯ありますが、本を読むのと決定的な違いがあります。
 本の世界は百人百様の場面ですが、アニメは百人が同じ場面を共有(受け方に差があるにせよ)です。草々。




時間と行く道 平成17年6月21日(火)

 前略、6月も下旬に入りました。皆様お元気ですか?
 今年ももうすぐ半年が終わると言うことですよ。正に「光陰矢のごとし」ですネ。

 自分の感覚ですと22才新卒で田野畑村に来た頃の思いは、現在54才ですので32年経った今も、ついこの間の事の様に思えるのですが、ぴかぴかの22才の自分の姿は悲しいかなもうどこにもありません。
 そして良く考えると自分の22才当時の父の姿が、丁度今の鏡の自分の感じです。

 今から30年ではきっと今の父の姿になるのでしょう。
 私の両親は共に80才を過ぎており健在で、自分の身の回りは自分で出来るのも本当にありがたいと思います。
 ここまで書く内に、やはり今から30年後の自分は今の父や母のようには行かない様な気がしてきました。

 先のことを心配して嘆くよりは、今までの幸せを心より感謝したいと思います。
 感謝は新たに意欲やエネルギーを生んでくれるのでしょうか。
 胸を張って進みたい気持ちが出て来るのです。

 心配より希望が大きければ進めますよネ。
 「生きる」て、そういう事のように思えて来ました。
 実際には希望どころの話ではないかも知れませんが、同じ道を行くなら明るく行きたいだけです。
 恨み、つらみではなく感謝の気持ちで進んで行けたら、きっと幸せなことでしょう。

 先日のJR西日本の福知山線脱線事故では、いつもの様に乗って事故に遭った人、いつもは乗らないのにたまたま乗って事故に遭った人等など、運命としか言えない事は、考えても仕方がありませんよネ。

 ただ、事故をたまたま見て救助活動をして、今も救えなかった人たちに申し訳なさから自分を責めている人をテレビで知りました。
 毎日現場に行っては献花して合掌していました。
 夢にまで出てくる人々、沢山の薬を頼って生活していました。

 「あなたはもう充分やった。感謝されてもうらむ人はいませんよ。」
 と言って差し上げたい。
 見た光景が地獄絵図だったために、心に大きなものを背負ってしまったのが本当にお気の毒でした。

 沖縄戦被験者で同じように60年経っても引きずっている人もいるのですネ。
 知れば知るほど人の世界の愚かしさと罪深さを感じます。
 運命としか言えませんが、そうした運命に生まれれば、運命のままに身を預けざるを得ません。
 平和な国、時代、に生まれた事にただただ感謝です。
 その有難さを自分なりに何かに生かしたいとは思っています。
 病める豊かな国「日本」いや先進諸国の人々。
 何かが違っているのでしょう。
 物質文明の頂点の時代に事件事故、そして病める人々。
 何をどうやって、どこに向うのがいいのか考えたいと思います。草々。




初孫 平成17年6月28日(火)

 前略、いよいよ入梅のようですが、皆々様お元気ですか?
 天候不順の合い間をぬって、一番草刈りを終了することが出来ました。
 短期間で処理した記録になります。
 ただこれはいつもお世話様になっている酪農家の協力があってのことでした。
 自分では持ってない機械を使っての作業でした。

 今の時代、本当に便利なものが沢山あるのだと言うことを、つくづく実感しました。(5haの草地を3日で終えてしまいました。今まではどんなに条件が良くても、一週間は掛かりました。)

 さて、先週21日の配達を急きょ宗矩(むねのり)君に代わって貰いましたが、長女の都がいよいよ陣痛に入ったからでした。
 早朝4時ごろ、私たちの寝室に来て、「何だか始まったみたい。」と報告しました。

 カカ様が破水の状況を聞き、「久慈病院に電話して行きなさい。」と言うことで、4時半ごろ家を出発して旦那の浅野宜(のり)男君とカカ様が付き添って病院に行きました。

 っと言うことで、牛舎の牛の出し入れや搾乳・哺乳など私がやる事になった訳です。
 配達でなければ勿論問題はありませんでした。

 早朝の急な出来事に、宗矩君は交代を快諾してくれました。
 いつも本当に有難い限りです。
 逆算すると結局5時半ごろ入院して、夜の10時過ぎに大騒ぎの末に、女の子を無事初産しました。
 神仏に心よりの感謝を捧げたいと思います。
 仁美(ひとみ)です。

 思えば24才の娘ですので、24年前になりますが、お産の状況は全く違うと思いました。
 牛を飼いつつ若夫婦だけの生活の中で迎える初産。
 何もかもが不安だらけでしたが、小生の性格が楽天的な為か考えても分からないことは、余り深く考えないで居りました。
 「心配は毒ガス」と言う言葉がありますが、逆に精一杯の自分に与えられた情況は、「これで良いのだ」と思っていた位です。
 だから女が生まれようが男が生まれようが、自分たちのような何も分からないペーペーでも上手く育ってくれる子が授かると思えば、心配はかなり少なくなったものでした。

 夜中に破水が始まり、当時野田村にあった母子センターに連れて行き入所。
 朝5時過ぎに生まれたのでした。
 彼女の時だけは当時珍しい、立会い出産でした。
 (その後は望んでいても誰も立ち会っていません。)
 急いで帰って朝の搾乳を済ませてセンターへ。
 赤ちゃんと女房の無事を喜んだものでした。

 その後は21日間、実家の母が来て面倒を見てくれました。

 父が定年退職後はお産の度に両親で来てくれました。
 色々心配や面倒を見て貰った両親が、今年はそろってひ孫の顔を見に来てくれるそうです。
 何と私にとっても「孫」です。
 54才にして初孫なのでした。
 まだ若いジーですが、山に柴刈りにでも行きましょうか。
 最近腰が痛くて居りますが、ジーだから仕方が無いかもネ。

 遠く岡山でヤキモキしていた宜男君のお母さんも内孫の無事な誕生で、
さぞかしほっとされたことでしょう。
 お父さんの祥月命日の前の日の事でしたとさ。
 めでたしめでたし。どーんとはれ。草々。