くがねの牧通信 2007年10月 

     発行者:田野畑山地酪農牛乳
     住 所:岩手県下閉伊郡田野畑村長根54
     編集・文責:熊谷 宗矩
     TEL:0194−34−2266
     Eメール:yamati@juno.ocn.ne.jp
     ホームページ:http://yamachi.jp/ 
   第6号・平成19号10月15日

         
     
       
 皆様、こんにちは! 例年になく厳しかった残暑が嘘のように、すっかり涼しくなりましたね。お日様が隠れると寒いくらいです。放牧地では遅れていた紅葉も始まり、また季節は巡ります。いよいよ北国の長い冬も間近に迫って来ました。
  その冬を前に非常に嬉しいニュースがありました。私達が牛乳配達で毎週通っている盛岡市へは、片道約2時間掛かります。そして、ちょうどその中間地点には、標高  メートルの早坂峠がどーんとそびえています。急勾配、急カーブの連続のその峠道は、冬場には大型トラックなどはチェーンなしには登れないほどです。その国道455号線最大の難所が、去る10月8日の早坂トンネルの開通により解消されたのです!! 翌9日に早速牛乳配達のため、その開通し立てのトンネルを通ったのですが、いやー素晴らしい。はっきり言ってこれほど楽になるとは思いませんでした。誰にお礼を言ったらいいか分かりませんが、とにかく感謝です。
  皆様、これを機会に是非田野畑村へお越し下さい! 嬉しい!!


 嬉しい投稿がありました。
  田野畑村役場に勤めている大澤健さん(31歳)から、この間我が家で偶然経験したある出来事を、文章にまとめてもらったのです! 少々長いですが、これがまた面白い。現在の部署は農林課ですが、酪農ははっきり言って素人。しかし、その素人ならではの視点は、とても純粋で、普段我々が慣れきってしまい、見過ごしてしまいそうなところまで、鋭く迫っています。ちなみに健君は盛岡市近郊の出身で、カメラマンのアシスタントをしていた時代に、仕事で訪れたこの田野畑村が気に入り、そして当村に再就職。現在は村内の女性と結婚し、2児の父親になっています。なんと警察官僚のお父様を持つ彼が、何を間違ってこの村を好きになり、そして永住を決意してしまったのか、私には大きな謎です。では、そんなタケちゃんの、題して「ある日のブログ」お楽しみ下さい。

                                    田野畑村役場 農林水産課 大澤 健

  9月27日、木曜日、農地保全関係の業務で村内数箇所の農地を確認することとなっていた。
当日は秋晴れ。午前は田野畑集落の水田地帯の稲刈り作業を見ながらの確認業務となった。田の畦が管理されているか、耕作放棄で草ボウボウになっていないか等を見て回る。同行してもらった集落の方が言うには田や畑を担う後継者がいないから、この先どうなることやら…とのこと。穂が垂れた稲が一面に広がる田も管理する人がいてこそと思う。
             
  午後は田代、千丈方面の草地の保全状況の確認に、まずは、くがねの牧へ…。
  とりあえず隆幸さんか宗矩さんにあいさつをしようと事務所へ行くと、美穂子さんと宗二郎くんがウルトラマンを鑑賞中。「こんちは。宗矩君いますか?」と言うと、見えないところで宗矩さんが何かを大きな声で喋っている。バタバタとなんだか騒がしいく落ち着かない雰囲気。トラクターの倉庫からTシャツにつなぎの作業服のズボンをはいて、袖の部分を腰に巻きつけた宗矩さんが登場。やはり忙しそうな雰囲気に、作業の邪魔になっちゃまずいと思い、挨拶もそこそこに草地の確認に来たので、山の上の放牧地を見せてもらいたい旨を伝えると、忙しそうな雰囲気なのに、なぜかニコニコしながら『もっと良いもの』を見せるから一緒に来てみてと牛舎の方へ…。
  「タケちゃんに手伝ってもらえれば大丈夫だなぁ…」とか言いながら、どんどん牛舎へ進む宗矩さんの後を「なんすか?なんすか?」と意味もわからず追うと、家の方からパタパタと幸子さんが登場。どうやら幸子さんも『もっと良いもの』の方へ一緒に行くらしく「いつもどうも」と丁寧だけど、とても忙しげにあいさつをされると「宗君、お父さん(隆幸さん)が来るまで待ってて!」と幸子さんにしてはやや強い口調で宗矩さんの後を続いて牛舎の方へ…。あの幸子さんがここまで忙しそうなのでは、何かあったんだなぁ…とわけがわからぬまま、でも漠然とスニーカーで来たのはまずかったなぁ…なんてどうでも良いことを思いながら、2人の後を追ってズンズン牛舎を通り抜け、牛舎北側のフットサル会場くらいの広さがある牧柵に囲まれた草地へ。

  草地には4頭の動き回る牛と、1頭の寝転んだ牛、そして1人の隆幸さんそっくりの青年が…。この原稿を書きながら初めてわかったことだけれど、どうやら宗矩さんの弟の圭徳君とのこと。あまりに隆幸さんにそっくりなので、何故かしら(?)ちょっとビビリながらも、失礼千万、視線が離れず、若返ったような隆幸さんの様な圭徳君がまさか『もっと良いもの』のはずがない…なんて冗談半分の気持ちを入替え、草地と寝転んだ牛に視線を向けると…。
                          
   「おやっ!?」なんと!寝転んだ牛のお尻から黄色半分、白半分の牛だけど豚足の様なヒヅメの付いた足が2本突き出しているではないか!でもって宗矩さんがしゃがみながら「タケちゃん、この黄色い柔らかいのがヒズメだから…触ってみて」って…ネチャネチャ…。「うわっ!すげっ!」感嘆と一言の言葉にしかならなかったけれども、今にも牛が生まれるという現実、その衝撃はまさに恐怖。更に、その場にいることで、取り返しのつかない責任が発生して、しかも、この後の展開によっては、世が世なら切腹も免れない!そんなことを感じて暫し呆然。…でも、突っ立っているわけにもいかず、言われるがまま、恐る恐る牛の黄色いヒズメに触ってみると、ヒズメなのにプニプニとゼラチン状で、何が付いているのかわからないけれど、すごく濡れている。宗矩さんの話では、胎内にいたからヒズメが硬くなっていないとのこと。濡れているのは羊水の中に入っていたから。そんな説明を聞いていると、ヒズメに触ったせいもあるのか、だんだん落ち着いてきて、色々質問してみたくなる。単純なのだ。僕がまず知りたかったのは、胎内で子牛がどのような格好でいるのかだった。人間であれば正常分娩なら手じゃなく頭から出てくる。生まれてくるのがうれしいからといって万歳しながらでは頭と肩と腕が一緒に出てくるので母体に負担がかかる。 でも、目の前の牛はヒズメが見えているので、人で言うなら思いっきり万歳していることになってしまうではないか!と思ったのだ。
すると、宗矩さんは「ここ見てみろ」と、2本の足のそばから出ている赤黒い手のひらの半分ほどのヒダを触り「牛タン」とのこと。「あはは…」って声は出るけど、ぐったりした赤黒い舌は元気がなく、どうも笑えない。舌の位置を見れば、なかなか出てこない2本の足のすぐそばに頭があるらしく、それがひっかかり出てこないのだ。とはいえ、どう見ても頭が出てくるような穴のサイズには見えない。母牛の呼吸も普通ではなく、まるで人間のようにいきんでは深く呼吸し、いきんでは深く呼吸をするというのを繰り返している。「穴が小さすぎて、出てこれないんじゃないですか?」宗矩さんに訊ねると、今回の母牛は初めての妊娠、出産だから、母牛の体がまだ大きくなっておらず、母牛と子牛の体の比率が、出産経験の豊富な母牛とは違うため、体に負担が掛かっているとのこと。確かに、寝転んで苦しんでいる牛は、回りをうろうろ歩いている妊娠牛よりひと回り小さいようだ。
                          
 そうこうしていると、宗矩さんがテキパキと幸子さんや圭徳君に指示を出し、宗矩さんと圭徳君が子牛の足に滑車のついたロープを結び付けている。美穂子さんも宗二郎君を連れてやってきて、宗二郎君に牛の状態を色々と説明している。幸子さんは「お父さんが来るまで待って!」というが、準備が整ってもなかなか隆幸さんは現れず、しばらくは宗矩さんがロープを軽く引っぱったり、体をなでたりしていた。けれども「もう出るなぁ」とおもむろに圭徳君と2人でロープを引き始める。僕には全然出てきそうには見えず、まだ無理じゃないかなぁ…と思っていると、やはり幸子さんも一緒にロープを引き始める。「ゆっくり!ゆっくり!」。僕も手伝いたいけど、ビビッてしまって立ち尽くすだけ。3人はだんだん力を込め、綱引きのような態勢に。子牛の足に結ばれたロープがピンと張り、母牛も苦しそうに大きな声こそ出さないけれど、辛そうに呻く。すると、穴が大きく広がるように、ピンッピンに伸びて、今にも張り裂けそうになりながら牛の鼻穴と口先が出はじめる。「もう少し…」という宗矩さんの声に僕も少しは役立ちたいとロープに手を伸ばし一緒に引っぱってみると…。ポンッ!という音はしなかったけれど、まさにポンッ!という感じで頭が飛び出し、続いてドドーッと滑り落ちるように子牛が誕生!「わぁ!生まれたー!」って喜んだ瞬間、今度は風呂釜をひっくり返したくらい大量の羊水が一面の草地を水浸しにするくらいドバーッと流れ出して、羊水の鉛のような香りを残し、出産無事終了!

                           

  羊水まみれになった生まれたばかりの子牛は、まぶしい午後の光が反射してキラキラ輝くものの、ピクリとも動かず…。母牛も疲れきってぐったり…。心の中で「傷みにこらえてよく頑張った!感動した!(純)」と思い、体をさすってあげたい気持ちでいると、宗矩さんが母牛のそばに近づく。「よく頑張って産んだなぁ…」なんて言ってさすってあげるのかと思いきや、厳しい表情で「ホウッ!ホウッ!」といって母牛の体に膝とももを押し付け、グイグイぐりぐりと下から結構乱暴に突き上げ、遂にはくたくたの母牛を起き上がらせた。予想外の展開に何で?何で?って思っていると、フラフラの足取りの母牛は子牛のそばに歩み寄り、臭いをかいだ後、体を舐めたり、鼻で押したり。すると宗矩さんが「よし、いいぞ〜!」とニコニコ。僕は、なるほど…と感心する。何が「なるほど」なのかわからないけど、宗矩さんとベロベロ子牛を舐めまくる母牛の行動にすごく納得。母牛がヨロヨロと子牛を踏みそうになりながらも懸命に舐め続けると、子牛もようやく目をキョロキョロ動かし、すぐには立てそうにないものの、元気な様子。その後、隆幸さんも到着し、一安心。話を聞けば、初産は事故が多いとのことで、幸子さんが隆幸さんを待っていたのも納得。せっかく妊娠、出産を迎え、ようやく牛乳を搾れるようになった牛に事故があっては、酪農業は成り立たない。
  生命の誕生に初めて立会い、とにかく驚いて、ハラハラして、感動した。しばらく子牛が生まれる瞬間と大量の羊水が流れ出した光景が頭から離れず、興奮状態だった。出産の大変さを牛ではあったけれど生涯で初めて目の当たりにし、牛も人もなんでもかんでも、世の中の母親ってすごいなぁと単純に思った。牛や牛乳に関しても、牛は妊娠、出産しないと牛乳がでない。ホルスタインのメスだからといってどれも牛乳が出るわけではない。牛乳って貴重だなぁ…って改めて思った。そんなことを本当に実感する貴重で素晴らしい体験だった。
  家に帰り、単純な僕はさっそく家族に牛の出産の奮闘劇を披露。田野畑生まれの妻でも牛の出産は全く未知の世界。「そうゆう過程があってこその牛乳なんだ」と力説し、みんなで牛乳を飲む。3歳の娘も「牛乳だ〜い好き!」といって牛乳を飲む。無意識の食育となり、僕の力説で何かが伝わったようだ。こうゆうことの繰り返しが田野畑村の産業を理解して、受け入れて、田野畑村を誇りに思うことにつながるんだろうなぁと思う。そして、結果、くがねの牧の宗矩さんや志ろがねの牧の吉塚兄弟のようなに村を担う人が育つんだろうなぁ…と、ちょっとヨイショしながら真剣に思ってみる。
終わり


                       宗矩

  岩手県全般に使うのだろうか。この辺りの沿岸部だけなのだろうか。はっきりした事は分からないが、言葉の始めか終わりに「こ。」という一言を付け加える方言がある。始めに「こ」をつける場合は、「とても」という意味が多い。例えば「汚い」に「こ」を付ければ、「こきたない」これは、とても汚いと訳し、そして、「にくたらしい」に「こ」を付ける「こにくたらしい」は、そう、とても憎たらしいという意味になるのである。
                         
  今月は平成9年生まれ、「コニック号」の話である。このコニック号、ちょうど私が帰ってきたときには、1歳になったばかりの育成牛だった。朝晩の搾乳時間には成牛ばかりではなく、お乳を搾らない、まだお産をしていない育成牛も、育成牛用の牛舎に繋ぐことになっている。発情のチェックや健康状態を観察するためである。ナスカンと呼ばれる手錠のような器具を牛の首輪に、はめるのだが、私が近づくとすぐ逃げ、なかなか捕まらない牛がいた。その育成牛との格闘?騙し合い?はしばらく続いたのだった。餌を食べているその牛に忍び足で近づく私。もうすぐ首輪に手が掛かるという瞬間、彼女はさっと後退りし、手の届かない場所に逃げ、「へへん。」とばかりに、口をもぐもぐさせている。私が遠くに退くと、また餌箱に近づき、私を横目で見ながら、餌を食べているのである。急いでいる時などは、とても腹立たしい。本当に「こにくたらしい」のである。「こにくたらしい、こにっくたらしい、こにっく・・・。」私は、この育成牛をコニック号と名付けたのであった。
   そのコニックが10月1日になんと9回目のお産をした。お産そのものは特に難産というものではなく、我々の手も煩わせることなく、自然分娩だった。しかし、なんだか元気が無いように感じた私は、群れと一緒に山に放すのを止め、牛舎の周りの小さなパドックで様子を見ることにした。夕方、寝ているコニックを牛舎に入れるため立たせようとしたのだったが、後ろ足の踏ん張りが利かず、どうしても立ち上がることが出来ないのである。外はすでに薄暗く、何度も立ち上がろうとしては崩れ落ちるコニック号への心配が、余計に募るのだった。すぐに獣医さんに来てもらい診察してもらうと、お産によるカルシウム不足が原因のようで、点滴をすれば大丈夫だろうとのこと。早速カルシウム入の点滴を打つ事にしたのだが、さすがは警戒心が人一倍?牛一倍強いコニック号、首にある頸動脈になかなか注射針が射せない。その首を押さえるのも一苦労である。(私は翌日筋肉痛になった。)なんとかかんとか点滴を済ませたのだが、獣医さんが一言。「これだけ元気があればすぐに立つよ。」案の定、彼女は1時間後にはしっかり立ち上がり、牛舎へと戻ってきたのである。

 それから数日後。お産後10日間前後は牛乳として出荷は出来ないのだが、その初乳を搾るのは親父の役目である。「バシ!」蹴られる音が、「このやろう!」そして親父の怒りの声が・・・。そう、元気全快になったコニック号の仕業だ。お産を9回も繰り返したのに、何時まで経ってもこにくたらしい奴であった。牛もまた「3つ子の魂100までも」でしょうか(苦笑)。