くがねの牧通信 2007年7月 

 
     発行者:田野畑山地酪農牛乳
     住 所:岩手県下閉伊郡田野畑村長根54
     編集・文責:熊谷 宗矩
     TEL:0194−34−2266
     Eメール:yamati@juno.ocn.ne.jp
     ホームページ:http://yamachi.jp/ 
   第2号・平成19号6月19日

 
  皆様、こんにちは! 6月に入り、一番草の刈り取りも本格的に始まりました。刈り取りを始めてから、3日間も雷注意報が出て、草が濡れてしまうかと心配しましたが、運良く雷はこの辺りを避けて通ってくれたようです。刈り倒した草を雨に濡らすと、その栄養価は落ち、牛も好んで食べなくなります。牧草の処理は天気との、いや天気予報との、まさに戦いなのです。もうしばらく、私のお天気ギャンブルの日々は続きそうです(笑)。

   『試 練』
                                                        宗矩

  ちょうど1年前のちょっと苦い思い出である。
 朝5時。我々は盛岡への牛乳配達のため、田野畑を出発した。いつもの事であるが、相棒の公太郎も私もまだ寝ぼけ眼で、会話はイマイチ噛み合っていない。配達の最初に立ち寄るのが、冬場のワカサギ釣りで有名な岩洞湖の畔にある、岡本食堂さん。山地酪農牛乳の発足当初からのお客さんで、いつも元気なおばさんが「おはよう!今日も気を付けて、行ってらっしゃい。」と、我が子のように送り出してくれる。そして、ここで我々はいつも50円のスルメイカを買い、道中の眠気覚ましにするのだった。
 公太郎と運転を代わった私は、助手席で、妻が昨晩握ってくれた、愛のこもった(?)おにぎりを取り出した。もちろん、茶色い玄米のおにぎりである。今でこそ、健康ブームで玄米食も注目されているが、我が家も吉塚家も、もう30年以上前からご飯は玄米と決まっている。「山地酪農家たるもの、体が資本。健康には十分配慮しなければならない!」との、恩師猶原先生の徹底した指導が、その背景にはあるのだが、これが小学校時代の私には憂鬱の種だったのだ。月に一回、おにぎりの日と言うものがあり、その日は給食の代わりに各自でおにぎりを持参することになっていたのだが、みんなはもちろん白いご飯。玄米おにぎりは私一人である。気が弱かった宗矩少年は、「なぜ私の家だけ茶色いご飯なんだ。」と、いつも悲しい思いをしながら、隠すようにそのおにぎりを頬張っていたのだった。ただ、今になって思えば、「我が家の方針はこうだ。」と、貫き通した親の姿勢に感謝している。また、90歳を過ぎた祖父や祖母をはじめ、家族皆が健康であるのは、この玄米食の影響がかなり大きいのではないかと思っている。それともう一つ、山地牛乳のお陰かな(笑)。
 午前7時、盛岡市内に入ったところで公太郎と別ルートに分かれ、いよいよ配達開始。天気は快晴。爽やかな風が心地いい初夏の一日。しかし、悪魔は突然やって来たのだった。配達開始からちょうど1時間が経過した頃、お客さんと何気ない会話をしていた私は、急に強烈な吐き気に見舞われたのだ。私はその場を何とかごまかし、急いで次の目的地に向かった。次はスーパー、つまりトイレがある。だが、そんな時に限って道は渋滞している。我慢は早くも限界を迎え、口の中は次から次へと分泌される唾液でいっぱいだ。田舎道ならすぐに車を止めて、道端にと思うのだが、ここは市内のど真ん中、とてもそんなまねは出来ない。いつもなら数分の何気ない道のりがとても長く感じた。片手にはビニール袋を握り締め、額からは脂汗が流れる。やっとの思いでそのスーパーに辿り着いた私は、急いでトイレに直行し、苦しみの涙を流しながら、「なぜ?何が原因なの?」と過去の記憶をさかのぼっていた。
 ふと、頭をよぎった物は、そう、朝食べた愛妻おにぎりである。実は一口食べた時、食品の傷み始めによく感じられる、すっぱい感覚を覚えたのだった。この辺りではアメルと言うのだが、たぶんおにぎりがアメテいたに違いない。ただ、貧乏性の私は、口の中に酸っぱさを感じながらも、公太郎君に気付かれないように、頬張ったのだ。しかも、2個。そう、小学校時代のように。その後3回ほど、私はトイレに駆け込んだ。
  午前9時、朝の搾乳後、私は一人遅い朝食を取る。ちょうどNHK、BSの大リーグ中継が始まる時間だ。これを見ながらの朝ご飯が、楽しみのひとつである。やっぱり今年の一番の注目は、レッドソックスの松坂大輔だろう。この日も松坂の登板試合。「おっと、どうしたのでしょうか。松坂、お腹のあたりを押さえながら、苦痛に顔を歪めています。」その試合、彼は原因不明の吐き気に悩まされながら、5回まで投げきり、勝ち投手となった。そんなスーパースターと、最悪のコンディションの中で、長時間の配達をやり遂げた自分自身の姿を重ねる、私であった。(ちょっとレベルが違い過ぎるかも・・・)



  『さらば、セカンド』

    先月の種雄牛に引き続き、今月はセカンド号、通称ゲリクソンが他の農場に売られて行きました。ゲリクソンは平成9年10月生まれの10才、まだまだ働き盛りです。しかし、初妊牛(初めてのお産を迎える牛)のお産が迫ってきた事で、入れ替え出荷となりました。若い牛の成長は嬉しい事ですが、その分、定期的に高齢の牛や乳質が悪い牛を出荷し、牧場の規模に合った頭数にしなければならないのです。厳しい世界です。ただ、健康が最大の武器の山地の牛は、まだまだ他の農場でも活躍出来るはずです。
  ここで、セカンド号との思い出をひとつ。彼女が育成時代です。かなり手を焼かされました。彼女は放牧地を囲んでいるバラセンの、ちょっとした隙間から、脱走を繰り返していたのです。相棒のクリスティー号と一緒に野山を駆け巡り、2.3日牛舎に帰って来ないのは当たり前、体のあちらこちらに脱走したとの証拠である野草がくっ付いていました。外で美味しい山野草をいつもたらふく食べていたせいでしょうか。彼女の糞はいつも下痢気味・・・。いつの間にか、実習生などからゲリクソンと呼ばれるようになっていました。
  次の農場でも、その飛び散るものが、ご主人に迷惑を掛けないかと、心配しております。なんだか今月号はこんな話ばかりになってしまいました。すいません・・・・。
  

    
     『チー太郎田野畑始動』

  田野畑村チーズ研究会、グループ名「チー太郎田野畑」が、この度吉塚公太郎君を中心に結成されました。
目的は「チーズなどの乳製品加工を勉強し、将来的には個性を生かしたチーズの里を目指す(出来たら日本一になりたいなあ)。」と、いうことで、設立メンバーは村の若手酪農家など6名です。夢は大き過ぎて、何処まで実行出来るか分かりません。しかし、牛乳の消費が伸び悩んでいる厳しい酪農情勢の中で、一人でも多くの地元の仲間達と、希望を持って少しずつ前進出来たら、素晴らしいですね。皆様のご指導、どうか宜しくお願い致します。