くがねの牧通信 2006年12月 

  2006

  皆様、こんにちは!
田野畑村でも、朝の最低気温が氷点下を記録するようになって来ました。今年も残すところ後1ヵ月、いよいよ12月。
寒くもなるはずです。早いもので、今年も最後の通信となりました。
  本年もご愛飲、ご愛読? 本当に有難うございました。いつもたくさんの励ましの言葉を頂き、心より感謝申し上げます。ちょっと早いですが、来年も皆様にとって、素晴らしい1年になりますように! もちろん山地牛乳にとっても(笑)。

  2006年、くがねの牧を後にした成牛は全部で6頭である。感謝の気持ちを込め、1頭ずつ紹介しようと思う。
  まずはサンサム号。今年で12歳になる、この農場で一番の長老牛だった。頭の毛並みが、いつもセットでもしたようにバシッと決まっていたので、ハンサムならぬサンサムにしたのだった・・・。
 2頭目はコバシー号。彼女は私の後輩の小林君が実習当時に名付けた牛である。当初は、目が魚に似ていたことから、ギョガン(魚眼)と名付けられたが、余りにも可哀想だと、コバシーに変名したのだ・・・・。サンサム号とコバシー号は県北の酪農家に引き取られていった。
  3頭目はチョビ号。彼女はまだ若く5歳だった。初めてのお産のときに子宮が外側に飛び出してしまう、子宮脱になってしまったが、奇跡的に回復、その後3度のお産を無事繰り返していた。くがねの牧、財政難回避のため、大役がチョビ号に託された。家畜市場のセリに出された彼女は、自慢のプロポーションを武器に、予想を上回る306,000円という高価格で落札され、現在茨城県の酪農家にいる。

  4頭目はブチッチ号。彼女は同じ地区の昔から深い付き合いの熊繁牧場さんに売られたのだった。家も近いので時々彼女を見かけるのだが、「おー、ブリッチ!」と話しかけても、もうすでに元飼い主の顔を忘れたのか、彼女の態度は素っ気無い。熊繁さんにはいつもお世話になっている分、なんとか役に立ってほしいものである。
  5頭目は、ホワイティー号。この牛も10歳を過ぎた長老の牛だった。名前のように体のほとんどが白く、所々に黒の斑点が少しだけあり、カウベルを首にぶら下げ、よく群れを引っ張っていた1頭であった。
  そして、最後の6頭目はあの暴れ牛フジコ号である。彼女は他の農場に行ってもきっと怪我人が増えるだけだからと、まだ若く非常に残念ではあるが、すぐに屠殺場に送られたのだった。
 
  早朝、5時半。珍しくすんなり起きた私は、牛舎へ向かった。日の出が遅くなったせいで、辺りはまだ薄暗い。牛舎に入ると、マーチ号とオージ号が迎えてくれた。この2頭はお産が間近な為、牛舎に残されていた。朝の作業を開始して少しすると、マーチ号の様子が変わり始めた。時々足を上げたり、ウロウロしたりと、落ち着きがなく、動き回る。どうやら、陣痛が始まったようだ。こうなると、子牛誕生は間もなくである。1時間後、ちょうど搾乳を終えた頃には、子牛の両足と可愛い鼻の先が見えてきた。そして30分後、牛舎内の掃除を終えた頃には、無事にお産は済んでいた。親のマーチとは対照的な、白毛が多い、可愛い雄子牛だった。
  マーチ号にぬるめのお湯を飲ませたり、寝る場所に乾いた藁を敷き詰めたりと、お産後の処理をし、さあ!待ちに待った朝ごはん!と、牛舎を後にしようとした私と親父だった。
  が、その横で、なんと今度はオージ号がソワソワし始めたのである。今日はこの後、牛乳配達があった私は、無言で親父に「任せた。」と視線を送ると、牛舎を後に・・・。それから間もなく、オージ号も無事、雌子牛を出産したようだった。

  今年のくがねの牧での出産は、このオージ号で、28頭目になった。内訳は雄が13頭、雌が14頭、死産が1頭である。去る命もあれば、あらたに誕生する命もまたある。日々の忙しさにかまけ、毎年繰り返されているこの命の繋がりをつい忘れがちになっているのではと、この通信を書きながら思った。

  11月27日、外は寒冷前線の通過で時折激しい雨が降っている。午前中はこの雨をいいことにすっかり寝込んでしまった。休養十分。さあ!カッパを着て、雨の中で待っている牛達に美味しいご飯を与えよう!!この農場を支える命の営みに感謝しながら。
2006年、本年も本当にお世話になりました。