くがねの牧通信 2005年10月 

可愛い子には?

 皆様こんにちは!太平洋からの冷たい海風の影響もあり、肌寒く感じる日も多くなってきました。いつも思う事ですが一年あっという間ですね。くがねの牧では今年最後の牧草の刈り取り、貯蔵が始まろうとしています。牧場の仕事も草刈りの後は来年の為に石灰を入れたり、堆肥を撒いたりと駆け足で行わなければなりません。皆様、季節の変わり目です。体調を崩されないようお気を付け下さい。

 9月25日に愛知県で行われていた「愛・地球博」が閉会しました。皆さんの中で行かれた方はいるでしょうか?入場者数は予想を大きく上回る2200万人とかで、20年前に茨城県で開催された筑波万博を超えたようです。

 そこで話は先月号に戻ります。妹の結婚パーティーで彼女が家族に宛てた手紙を読んでいるとき思わず号泣してしまったと書きましたが、兄の私に向けられたくだりを少し紹介します。

 「私が小学校4年生の夏、むね君(私)あすみ(次女)と兄妹3人だけでお母さんの実家の茨城県に行った時、バスや新幹線を私達の手を引き乗り継いでいる姿を見て、初めて兄として感じたように思います・・・」

 その前はどう思っていたんだよと聞き返したくなりましたが、20年前の夏、小学6年生の私と4年のちひろ、2年のあすみの3人でお袋の実家目指して旅に出たのでした。目的はもちろん筑波万博。田舎者丸出しの兄妹3人ははたして如何に?

↓猶原先生のお宅にて…   宗矩一人旅、 都会の町を背に…↓

 私のお袋の姉夫婦の谷貝家とは、お互いにホームステイのように子供を相手の家に 2 週間から長くは 1 ヵ月ほど泊まりに行かせることが、行事のひとつのようになっていました。谷貝家の子供達も夏休みになると一人で寝台列車などを乗り継ぎ(当時新幹線はまだ未開通)、遠いこの田野畑の地に農村体験をしに来ていました。その度に私達兄妹もよく遊んでもらい、この期間だけは頼もしい兄や姉が出来たようで嬉しかったものでした。

 私も小学 4 年生の春、谷貝家まで一人旅をしました。旅と言っても当時東北新幹線の終点だった大宮まで一人で乗って行ったぐらいで、盛岡駅までは親父に送ってもらい、帰りは盛岡にいるいとこにバスに乗せてもらうといった多くの人の手を借りた旅でした。しかし 9 歳の私には大冒険だったのです。バスの終点には祖父達が迎えに来ていましたが、その暗い車中で、ほっと安心したのでしょうか、自然にボロボロと涙がこぼれたのをはっきりと覚えています。この大きな経験は私にとってとても自信になったことは間違いありません。

 そしてその 2 年後です。今度は妹達を連れての長旅で、自分達でバスから新幹線に乗り換えて上野まで行かなければなりません。今思えば簡単ですが、田舎物の小学生にはかなりハイレベルの事です。レベルは上がったにしろ、この前のひとり旅に比べれば私の心は落ち着いていました。それほど前回の経験は大きく、そして何より妹達が一緒にいることが心強いことでした。

↓熊谷兄弟3人、左より  あすみ・宗矩・ちひろ

 新幹線が仙台に差し掛かった時、私が次女のあすみに上野に着いたと手の込んだ芝居で嘘を付くと、素直な彼女は危なく降りようしたのです。騙されたと知って大泣きしていた彼女を長女が慰めていました。私はというと、その姿を座席の影で見て、笑っていた事は言うまでもありません。(なんてひどい奴なんだ)それほど余裕があったという表れでしょう。この兄妹 3 人の旅では、筑波万博を始め、動物園や大規模なレジャー施設など色々な所に連れて行ってもらいました。すべてが新鮮で、帰る前の晩には、今度はずっとここに居たいとの思いから枕を涙で濡らしたのでした。 2 年前から比べると本当に大きな成長ですね。

 「かわいい子には旅をさせろ」と昔からよく言われていますが、私がかわいい子だったかは別として、親となった今、その意味が分かるような気がします。私の子供が大好きなディズニー映画「ファインディング ニモ」でこんなくだりがありました。熱帯魚お父さんが息子のニモを探して旅をしている最中、連れの熱帯魚にこう言いました。「ニモが産まれた時に、絶対君には何も起きないようにするから、お父さんが守ってあげると約束したのに」すると連れの熱帯魚がこう返事をするのです。「あら、そんな約束したら子供は何も出来なくなってしまうわ、子供だって絶対楽しくないはずよ」と。終わり