【田野畑山地酪農牛乳ができるまで】
酪農を求めて東京農大畜産学科に行き(18才)、直ぐに挫折。
希望を無くしている時に猶原恭爾(なおはらきょうじ)博士と出会いから
山地酪農の素晴らしさを知りました(20才)。
今から日本酪農を救うのはこれだ!と直感し、
直ぐに徹底的に学び、人生を捧げる決意をしました。
1974年卒業と同時に4期先輩の熊谷隆幸さんを頼りに田野畑村に移住。
(私が実習する一年前に山地酪農に切替て、ご自分の山林25haで山地酪農を開始)
熊谷さんで一年間実習の後、先生の指導を得ながら、
77年に四苦八苦の開拓山地酪農を開始。
79年(28才妻22才)栄養失調で救い主と結婚。
ランプ生活10年ののち電気導入(87年:35才)。
開牧15年目頃に幼馴染が遊びに立寄り、
「吉塚、この牧場いくらで買った?」と聞かれ、
以前からの農場に見えていることに感動。
開拓にほぼ成功している実感を得た。
しかし経営は絶望的。
継続が危ぶまれたころテレビ岩手の遠藤隆ディレクターとのご縁で、
今ならプライベートブランドの応援ができると。
隆幸さんを中心に研究会の会合を開き、
取敢えず熊谷と吉塚で山地酪農牛乳をやって見ろ、と言うことになった。
パックのデザインを遠藤さんの紹介で
山崎文子氏にボランテイアでやって頂けることになった。
最高のデザインに感謝。
1996年4月1日から田野畑山地酪農牛乳が身無し法人ではありましたが
正式に発足となったのでした。
テレビ岩手遠藤様の応援と、
テレビのお陰でスムーズに販売を展開でき、
考えられない発展を遂げる。
お陰様で一家離散せずに済みました。
牛乳が持っている説得力のお陰で、お客様がお客様を生んで下さる。
いわゆる口コミで販路拡大して行ったのも大きい。
そして現在、牛乳をはじめ、
多くの商品をお客様に提供できるまでになりました。
感謝です。
吉塚 公雄